白い仔馬が行方不明になった。
物語はそこから始まる。
それ以前の情報はまるでない。
どうやってその仔馬が産まれたのか?・・・あるいは、私の元にやってきたのか?
どんな風に育ったのか?・・・あるいは、やってきた途端に居なくなったのか?
いや、それ以前に、私が一体何者なのかもわからないし、家やその他の持ち物も、道も、空さえ
何もかもが、その時そこに一斉に出現したのだ。
とにかく、白い仔馬の消失から
この物語は始まる。
私はうろたえ、
「仔馬が居ない。どこにも居ない。」と家の中も外も、裏手の川沿いの堤防も探し回った。
私が歩き回った分だけ世界が拡張していくようだった。
「警察に連絡すべきだろうか?」
「するとしたら、行方不明で届け出るのか、それとも盗難か、どっちだろう?」
私は混乱した頭でそこまで考えた時、一人の男の子が目の前に現れた。
「駄目だよ。そんなことしちゃ。面倒なことになるだけだもの。」
男の子は5歳くらい。子どもの声だから決して低くはないのだが、とても冷静な声だった。
私には彼が突然現れたように思えたけれど、ずっと前から私と一緒にいたような気もする。
仔馬が居なくなった時から私と一緒に仔馬を探していたんだっけ?それ以前から一緒だっけ?・・・
よくわからない。
よくわからないと言えば、どうしたら良いのかもよくわからない。
「じゃあ、どうすれば?」
男の子は、しばらく俯いて何か考えている風にじっと立っていたが、
やがて顔を上げて静かにこう言った。
「あいつは戻ってくるよ。大丈夫。」
私は、彼の落ち着きように少し気持ちが和らいだ。
「警察に言うと、どうして面倒なことになると思ったの?」
彼は不思議そうに私を見て言った。
「どうしてって、消えた白い仔馬のことを警察に尋ねられたら、困るのはこっちだよ。ただ白い仔馬だってこと以外に、何もわかっていないんだもの、僕たち。」
それは確かにそうだ。
仔馬はいつ私の元にやってきたのか、名前は何だったのか。私は何も知らないのだ。
逆にどこかから盗んできた仔馬に逃げられたんじゃないかと言われたら、返答のしようもない。
なにせ、仔馬が消えた・・・その瞬間に、全てが始まったと言ってもいいくらい、それ以前のことは何もわからないのだ。
「そうね。確かにそうだわ。」
「あいつは、消えることで存在の証明をしたのかもしれない。」
小さな子どもにしか見えないのに、その子は子どもらしからぬ口調でそう言った。
「これから始まるんだよ。消える以前は何も無かった。僕も、君も、仔馬もね。」
全く意味がわからない。でも、それよりもっとわからないことがある。
「ところで・・・」
と、私は少々聞きづらい質問を彼に投げかけた。
「ところで、あなた、いったい、誰?」
男の子は、まさにその質問を待っていたかのようににっこり笑って言った。
「まだまだこれからだよ。僕の顔を覚えていてね。顔っていっても、表情だけだけれど。」
彼の顔は、少年が言った通り、表情だけを残して空間の中に薄れていった。
仔馬の行方と男の子の消息という二つの難題とともに、私は一人でその世界に取り残された。
いつの間にか辺りは真っ暗になっていて、空には月の代わりに青い青い地球が浮かび、
それはゆっくりと、だが確実に軌跡を描いて天空を横切っていった。
それでやっと私は気が付いた。
私は、地球に居るのではないのだと。